音音是好音 〜 布施音人のブログ

ブログのタイトルを決めた - 音音是好音

2022/2/18

ブログ名

自分は本当に名前を付けるのが下手な人間で、曲を作ったときも、曲名を付ける段階でカッコツケと自己否定の無間地獄に毎度毎度陥っている。そのくせ、街中でうまいキャッチコピーとかを見ても素直に感心するどころか変に小馬鹿にしてしまうので余計たちが悪い。

が、「布施音人のブログ」では普通すぎるし、自分でも愛着が湧くような名前をつければ少しは更新も続くかもしれないと考え、名前をつけることにした。

音人という名前で人間をやらせてもらってるので、なんだかんだ「音」の字は入れたくて、そうすると英語ではなくて漢字の文字列がよくて、それならば漢文や仏典の一節を不遜にももじってやろうという考えに至った。般若心経の一節なども考えたが、最終的に、

音音是好音

に落ち着いた。これは、禅語の

日日是好日

をもじっている。日日是好日(たぶん「にちにちこれこうにち」)は唐の仏僧、雲門の言葉で、『碧巌録』の第六則に記述がある。「毎日毎日がよい日だ」というような意味で、それ以上深い意味について考え出すと沼にハマるであろうからこれ以上はここでは考えないことにする。

『死者と霊性』

昨年末、岩波新書から2021年8月に出版された、末木文美士編『死者と霊性—近代を問い直す』という本を読んだ(岩波書店のリンク)。

この本のメインパートは、コロナ禍で社会の歪みが顕在化する中、「死者と霊性」をキーワードに近代を再考するというテーマで、末木文美士、中島隆博、若松英輔、安藤礼二、中島岳志の五人が行った座談会の記録である。仏教学、中国哲学、近代日本思想史など、軸は少しずつ異なりながらも、共通する背景を持つ各氏が、現代の日本社会では故意に忘れられているといってもよい「霊性」の問題について自由に語り合う様子には、素人ながら感動を覚えた。

「妙」

そして、メインパート以外の部分には、各氏の論考が収められている。その中の、「地上的普遍性—鈴木大拙、近角常観、宮沢賢治」と題した中島隆博氏の論考の中に、鈴木大拙が最晩年の1964年に記した「妙」という題の短文が引用されていた。

この文章は、近頃「妙」という字を面白く感じており、「妙」をヨーロッパの言語に訳そうとするのだが上手くいかない、というような書き出しで始まる。そしてそんな中、聖書(創世記、第一章)の

And God saw everything that he had made, and, behold, it was very good.

という一節に突き当たり、この平凡な very good が「妙」なのだと大拙は言う。大拙曰く、

このグッドは善悪の善でもなく、好醜の好でもない。すべての対峙をはなれた絶対無比、それ自身においてある姿そのものなのである。「妙」はこれに外ならぬ。

そして、

雲門のいわゆる「日日是好日」の好である。またエクハルトの "Every morning is good morning" の good である。またこれを「平常心是道」ともいう。この最も平常なところに、最も「妙」なるものがあるではないか。

と続く。

この一節が心にぼんやりと残っており、今日不意に思い出されたので、タイトルを「日日是好日」をもじって「音音是好音」にした次第である。